「流動的な研究開発には
アジャイルが最適でした」
ENEOS株式会社 中央技術研究所
先進技術研究所 低炭素技術グループ チーフスタッフ
原田 耕佑氏(左) 有賀 暢幸氏(右)
ENEOS株式会社 様
日本政府は2030年度に、温室効果ガスを2013年度比で46%削減すると表明している。それに伴い企業も協力が求められる。なかでもエネルギー産業は、自社事業での排出管理だけでなく、低炭素エネルギーの開発や効率性の向上など多くの技術開発に取り組む必要がある。一方で、研究は試してみなければ分からないことも多く、要件が明確に固まらないうちから走り出さなければならない。社会の要請に応え、各種の開発を柔軟かつスピーディに進めるため、ENEOSが選択したのがアジャイルだ。TDCソフトをパートナーに開発を進め、2年半ほどで3つのシステムを構築。今後さらに水平展開を行っていく予定だ。
導入前の課題
導入後の成果
世界的な最重要課題のひとつである気候変動により、エネルギー産業は化石燃料から再生可能エネルギー活用へと大きな転換を迫られている。しかし、自然由来の再生可能エネルギーを安定活用するには未だ課題が多く、各社とも試行錯誤を続けている状況だ。日本を代表するエネルギー企業のENEOSも例外ではなく、同社の中央技術研究所では、蓄電池や水素製造装置等の多様なエネルギー機器を統合制御して1つの大きな発電所のように機能させるVPP(Virtual Power Plant)の推進、水素キャリア製造技術や合成燃料開発など脱炭素・循環型社会に向けた様々な取り組みが進む。中央技術研究所 先進技術研究所 低炭素技術グループ チーフスタッフ 原田 耕佑氏は、「太陽光発電や風力発電の発電量は気象に左右されるため、蓄電が欠かせません。大量の蓄電池が必要となることが見込まれるほか、余剰電力で水素エネルギーを生成して溜めておく方法もあります。安定的かつ効率的なエネルギー供給のためには、精確な予測にもとづいて複数のデバイスを最適に制御する必要があり、そのための研究開発を行っています」と語る。
エネルギー機器の制御試験を行うためには、従来は目的の機器がある場所へ赴き、その場でPCと接続して試験を行っていた。機器は研究所だけでなく日本中にあるため、移動の手間やコストがかかる。また、本格的なエネルギーマネジメント試験を行おうとすると、複数の機器を接続して一括でコントロールする必要があるが、それを実現する環境はなかった。
脱炭素社会実現に貢献する技術への期待は高く、研究開発の加速が求められている。ENEOSでは、効率的かつスピーディに検証が行える環境の構築が必要と考え、研究開発用の新たなエネルギーマネジメントシステム (EMS) 開発に取り組むこととなった。
2020年7月、複数のシステムベンダーにRFPを示しコンペを実施した。そこで原田氏が強く意識していたのがアジャイルだった。「研究開発は常に流動的で先が明確ではありません。事業部から急な依頼が来ることもあるし、研究者自身が思いつきをすぐに試してみたいと思うこともあります。そのような要求に応えるにはアジャイルな手法の導入が必須であると判断しました。」(原田氏)
コンペの結果、同社が開発パートナーとして選択したのが、TDCソフトである。その理由を原田氏は、「2週間スプリントでのスクラム(※1)を活用するという、具体的かつ要件の柔軟性も理解した提案で、アジャイルに対する知見が最も高いと感じました。事業用のEMSの開発実績を持つ大手企業にもお声掛けしましたが、アジャイルとしつつもほぼウォーターフォールのような進め方を前提とする提案や、不確定な仕様に対するリスクを積み上げた高額な提案もありました。その点、TDCソフトの提案は、納得のいくコスト感でした」と説明する。
本プロジェクトは機器の監視と制御が目的なので、ハードウェアに関する知識も必要だ。しかしTDCソフトは、エッジ側の技術に関する知見・人的リソースは十分ではなかった。そこで提案時、ハードウェア部分は得意ではないと実直に説明。その分野に強い別の企業と含め3社でプロジェクトを進めることとなった。「正直に言ってもらったので、結果的に良いプロジェクト体制を組むことができました」(原田氏)
最初の開発は2020年9月にスタート。原田氏がプロダクトオーナー(※2)となり、TDCソフトからスクラムマスター(※3)が1人、開発者が4名という構成で進んだ。原田氏は書籍などでアジャイルについて学んでいたものの、実際の経験はなかった。そのため、初期には困難もあったと次のように語る。「プロダクトの専門性が高いことや、コロナ禍でフルリモートだったことで、当初は思うようにコミュニケーションが進まず、開発の進捗が悪く焦る時期がありました。それでも私たちプロダクトオーナーとのコミュニケーション専用のチャットチャネルを作るなどの工夫を取り入れつつ、粘り強く2週間のスプリントを積み重ねるうちに、安定して成果が出るようになりました」。
2022年7月頃からは、ENEOS株式会社 中央技術研究所 先進技術研究所 低炭素技術グループ チーフスタッフ 有賀暢幸氏がチームに参画。現在は原田氏がhammock® EMS (ハンモックEMS)、有賀氏が蓄電池制御シミュレーターのプロダクトでプロダクトオーナーを務める。開発者は流動的に増減があったが、「開発者の人数が多すぎると進捗は速くなるものの、オーナーであるこちら側がすべてを見切れずパンクしてしまうので、5名くらいが適切なチームと感じています」(有賀氏)
最初に完成したシステムは、太陽光発電、水素発電、蓄電池などの稼働状況を監視・管理する「hammock® EMS(ハンモックEMS)」である。開発開始から3ヶ月後の12月には初期バージョンを稼働開始。2021年6月には、機能的にも満足のいくものとなった。その後もUIやマルチテナントアーキテクチャーの実装など、継続してシステム改善を行っている。
2022年7月からは、蓄電池制御シミュレーターの開発を開始。10月にはベータ版を提供し、こちらもUI/UXの改善や機能強化を継続している。前者のユーザーは研究員のみだが、後者は事業部員も利用するため操作性が良く、分かりやすいUIも用意した。
さらに、2022年12月からは東京都東村山市とENEOSが実施している電気自動車を活用したEMSに関する実証実験において、システムの見える化画面の開発を開始。2023年1月にはベータ版を提供している。いずれもアジャイルならではのスピード感で、開発が進んだ。
1つのチームで共に開発を進めたTDCソフトについて原田氏は、「経験豊富なスクラムマスターが開発をリードしてくれました。開発者も長く関わってくれる人をアサインしてもらったので、業務知識を蓄積してくれてありがたかったです。チーム全体が若く、和気あいあいと学園祭のようなノリで一体感を持って開発を進められました。若手にも十分な裁量があり、その場でほとんどのことを決めることができ、非常にスムーズでした」と評価している。
有賀氏は業務用のEMSの開発経験もあり、長年ウォーターフォール開発に携わってきた。そのため、hammock®プロジェクトの開発スピードの速さに驚いたという。チームの運営面でもアジャイルを高く評価していると次のように語る。「ウォーターフォール開発との最大の違いはチーム力だと思います。定期的に小さな成功体験を積み重ねるうちに自然と会話が増え、共有や共感が増していきました。ウォーターフォールではプロダクト完成までに時間がかかることが多いので、オーナー側が当初の要求を忘れてしまうこともあります。その点アジャイルでは2週間ごとにバックログの確認をするためそのようなこともなく、プロダクトの現状確認もしやすい。これまではプロジェクトの最終地点を考えて開発を行ってきましたが、アジャイルでは最終地点を目指しながら、同時に近い将来も考える必要があります。アジャイル開発を通じて長期・短期の両方の開発目標を考えるくせがつき、自分の思考パターンが変わっていきました」
原田氏は一歩進んでシステム開発以外の仕事にもアジャイルのやり方を活用し始めている。「スプリントごとに差分が見えるこの方法は、オーナー側の負担も増えますが、プロジェクトを確実に前に進める非常に良い方法だと感じました。そこで、通常の業務にも、スクラムの手法を取り入れることにしました。例えば毎朝のミーティングで、業務の進捗を阻害する要因を共有するようにしています」(原田氏)
今回の一連のアジャイル活用について原田氏は、「当社はインフラという失敗の許されない事業を営んできたこともあり、ゴールと期限がウォーターフォールほど明確ではなく、また成果が出ないときの責任を発注側が負うことになるアジャイルな進め方に懐疑的な雰囲気もありました。しかし、リスクの負いやすい研究開発部門でのチャレンジを上長が応援してくれ、現に着実に成果を挙げられたので、社内的にも認められるようになってきました。実際、研究用途やビジネス環境の変化が想定されるなど要件がはっきりしていない場合や、万一止まっても社会的影響が少ないシステムの場合は、アジャイルが最適だと思います。研究所のDX案件とも相性が良いので、知見の水平展開を始めており、実際にいくつかのプロジェクトがスタートしています」と語る。
ENEOSの脱炭素・循環型社会実現に向けた開発がスムーズかつスピーディに進むことは、日本社会にも大きな意味がある。TDCソフトは、これからもその推進を支援していく。